月夜の晩に、草原で
ふと、目が覚めた。
俺の横ではレンが猫の姿のまま眠っている。
俺はそれを起こさないように、そっと上体だけ起き上がる。
思えば今日も、慌ただしくもいつもの日常だった。
朝、翡翠に起こされ、着替えて一階の居間に行く。
それについて俺より早く起きている秋葉が
またいつもの小言を始める。
それが本格的に始まる前に食堂にエスケープして
琥珀さんの作った朝食を食べる。
そして食べ終わった後、翡翠に見送られて
学校に行く―――
昼休みになって、シエル先輩が俺の教室に来る。
俺と有彦と彼女の三人で食堂に行き、昼メシにする。
俺は素うどん、有彦はラーメン、先輩はカレーライスを食べる。
それにしても先輩………昨日もそれじゃなかったっけ?
そんないつもの事を思いつつ、俺はうどんを啜る。
そして食べ終わった後、三人で
受験のことや、馬鹿げた事を話し出す―――
帰り道にアルクェイドにつかまって、ラーメンを作る羽目になる。
こいつもこいつでホントにラーメンが好きだ。
というより俺がほかの料理を作ったことがないからだけど。
ほかの料理を今度作ってやろうと今日言ってみたところ、
楽しみにしているとのことだ。
俺の作ったものであれば、何でも構わないらしい。
何故なら、俺がアルクェイドのために料理を
作ってくれるということが嬉しいとのことだ。
俺はそんなお姫様の言葉に顔が赤くなりつつも、
必ず作ると約束する。
料理の本は俺の小遣いでは買えないから、
琥珀さんに教わるとしよう―――
そして屋敷に帰ると、翡翠が出迎えてくれる。
俺はそんないつもの心遣いに感謝しつつ、
食堂に向かい、夕食にする。
そこで琥珀さんに今度料理を教えてくれるように頼む―――
そして食べ終えたあとで、
研究が一段落して一階に下りてきたシオンと、
習い事が終わった秋葉と、
翡翠と琥珀さんで、紅茶を飲んで談笑する。
でも、そこに俺の家に遊びに来たアルクェイドと
それを止めようとついて来たシエル先輩が入ってきて、
しかもアルクェイドが、今度俺があいつのために料理を作ることをバラしたものだから、
秋葉の髪が紅くなり、先輩は黒鍵を取り出して、
アルクェイドに襲い掛かって、
もう何度目になるかわからない喧嘩が始まる。
結局、何とかシオンと翡翠が秋葉を宥めて、
俺が皆に料理を作る、と約束して喧嘩は収まった。
でも琥珀さんが、最初は何も言わなかったのに
アルクェイドの為に料理を作るのが分かった途端、
その交換条件として人体実験に付き合うように言ってきた。
俺……教わった後生きていられるかな―――
んで、その後風呂に入って、受験勉強をした後で眠って
今に至る。
もう一度眠ろうと努力するけれど、眠れない。
仕方ない、散歩でもするか。
俺はレンを起こさないようにそっとベッドから抜け出して、
屋敷の皆にばれないようにして外に出る。
そして、あの日の草原にたどり着くと―――
月明かりの下、一人の青年が、そこに座ってぼんやりしていた―――
その人は、上から下まで黒一色の格好をしている。
そして、今時小学生でもかけないような黒縁メガネをかけている。
ただ、髪の毛が左目を覆っている。
けれど、一番印象的なのはその雰囲気だ。
こっちまでほっとする雰囲気をしている。
そう考えていると、
「やあ、君も散歩かい?」
なんて尋ねてくる。俺は
「そうです、貴方もですか?」
と尋ね返す。
「うん、ちょっと寝付けなくてね。遠出してこの場所見つけて
ぼうっとしてた」
と言ってくる。
「奇遇ですね、俺も今夜は中々寝付けなくて散歩してたんですよ」
と返すと、
「ふぅん、それは本当に奇遇だね。じゃあ、ちょっと一緒に話さない?」
そう言ってくる。
「いいですね。じゃあ、隣座りますね」
そう言って隣に座る。
「んじゃ、自己紹介といこうか。はじめまして、僕の名前は黒桐幹也。幹也でいいよ」
そう自己紹介してくる。
「はじめまして。俺の名前は遠野志貴です。俺も志貴でいいです」
そう返すと、
「シキ?」
そう言ってくるので、どうかしたのか尋ねると、
「いやいや、僕の一番大事な人と同じ名前なんだ」
と言ってくる。もっともその彼女は、数式の『式』と書くらしい。
「同じシキなら紛らわしいな。君の事は、遠野君って呼んでいいかい?」
そう尋ねてきて、俺もそれでいいと返す。
「それにしても、最近寒くなってきたねぇ」
そんなことをのんびりした口調で言ってくる。
「そうですね、もう冬ですから」
そう返す。そういえば最近、季節の変わり目で風邪をひく奴が多くなっている。
そして気がつく。あの時から季節が一回りした事を―――
一年前を思い出す――
突然の遠野家による呼び戻し――
それまで一緒に住んでいた有間家の人たちとの別れ――
シエル先輩との出会い――
弓塚とのあの日の約束――
八年ぶりの家族との再会――
『混沌』との邂逅――
アルクェイドとの出会い――
『混沌』との殺し合い――
弓塚との約束を守れなかった後悔――
親友との再会と殺し合い――
俺の持つこの『眼』の意味――
俺に流れる『七夜』の血の宿命――
遠野槙久の業の清算――
全ての元凶たる『蛇』との決着――
そして夏――
自分の中の悪夢との邂逅――
主を失った夢魔との契約――
『タタリ』を追ってきた錬金術師との出会い――
街の人々の噂による自分の悪夢の顕在化とそれとの対決――
『タタリ』との決着――
その結果、慌ただしくも楽しい日々を送っている。
でも、その楽しい日々にもいつか終わりが来る。
あの日の先生との邂逅を思い出す。
俺はもう長くない。あと数年後にはこの命はないだろう。
全てはうつろいゆくもの。不変なものなど存在しない。
けれど俺は望む。この日々が少しでも長く続くことを――
「どうかした?何か考え込んでいたようだけど」
幹也さんが尋ねてくる。
「すいません、ちょっと前にあったことについて考えてたんです」
そう返すと、
「僕もさっき、そういうことについて考えてたよ」
そう言ってくる。俺はふと疑問に思ったことについて尋ねてみる。
「ねぇ幹也さん。幹也さんにとっての幸せってなんですか?」
「僕にとっての幸せ?う〜ん、そうだねぇ……今の日常が少しでも長く続くことかな?」
と返してきた。なんというか彼らしい答えだ。
「俺もそうです。でも、俺の今の日常は普通とはかけ離れた日々から得たものです。
それに、俺は普通の人間には出来ないことが出来るんです」
そう言うと、
「へぇ、それはどんなこと?」
と、尋ねてくる。俺はこの人になら全てを話してもいいのではないかと思う。
一方不思議に思う。普通は初対面なら、自分自身のこと全てを話そうとは思わないのに。
「これから話すことは、ウソと思ってくれても結構です。それほど現実離れしていますから」
そう言うと、
「大丈夫だよ。それに自分自身で言うのもなんだけど、僕は現実離れしたことに対しては
結構耐性がついているんだ」
だから君の言うことについてもきっと信じるよ、と言ってくる。
俺はそんな彼の心遣いに感謝しつつ、今までのことを話し出した―――
俺が話し終わると幹也さんは、
「なるほど、それは大変だったね」
なんて、事も無げに言ってくる。
「それなら、幹也さんの今までのことを聞かせてくださいよ」
そう言うと、わかった、と言って、彼もこれまでのことについて話し出した―――
彼が話し終えた後、俺はしばらく絶句した。
それはそうだろう。この『普通』という言葉が似合いすぎている人が
何度も命を落としかけている。
彼が髪をかき上げて、髪に隠された傷跡を見せてくれた。
よくこの傷で生きていたものだ。普通なら脳髄に達していてもおかしくなかったはずだ。
余程運がいいのか悪いのか……おそらく両方だろう。
でも、それ故に彼のことがすごいと思える。
何故なら、走れなくなっても、左目が見えなくなっても、彼はその『普通』であることをやめないから。
少しでも知り合って、困っている人がいたら、自分自身がどうなっても助けようとするから。
それはただの自己満足かもしれない。偽善でもあるだろう。
けれど、彼はそんなことなどお構いなしだ。
ただの自己満足でもいい。偽善でもかまわない。
ほんの一縷でも助けることが出来る望みがあるのなら、彼はそれを実行する。
理由なんてとっても簡単。曰く「放っておけないから」。
それ故に、彼に関わった人たちは、彼のことが好きなのだろう。
この日常の象徴と言ってもいい、陽だまりのような彼が好きなのだろう。
でも、俺は思う。
この『普通』であることは、その実誰より特別で孤独であるということではないか?
人は誰しも特別だ。
複数の考え、対立する意見、相反する疑問を抱えて生きている。
けれど彼は雰囲気から見てそれが薄い。
誰も傷つけないかわりに、自分も傷つかない。何も奪わない代わりに、何も得られない。
波風を立てず、ただ時間に溶け込むように人々の平均として暮らしていって、
静かに息をひきとっていく、そんな人生が彼からは連想される。
でも、誰とも争わず、誰も憎まずに暮らしていくことなんて不可能だ。
多くの人々は自分から望んでそんな暮らしをしているわけではない。
特別になろうとして、成り得なかった結果が平凡な人生というカタチなのだ。
だから―――初めからそうであろうとして生きるコトは、何よりも難しい。
なら、それこそが特別なこと。
誰から見ても普通な存在故に、誰も深く彼のことを理解しようとしない。
誰にも嫌われないかわりに、誰も惹きつけることのない彼。
そう考えると、彼はどこまでも特別で孤独に思えるのだ。
その孤独を彼の恋人である式さんが埋めているのだろう。
話を聞く限り、彼は彼女にベタ惚れである。
何しろ、彼は彼女が聞いていないかもしれないのに、
「君を一生許(はな)さない」
って言ったらしいし。
それに、彼が基本的に動くのは、彼女のことについて、ということが多い。
彼女を自分の特別とすることで、その孤独から抜け出した、という感じがするのだ。
というより、彼の話を聞いて、境遇が自分と似過ぎているよう思われるのは何故だろう?
特に口うるさい妹がいる辺り、本当に俺と境遇がそっくりだ。
これでその妹である鮮花さんが幹也さんのことを好きだったら、全くもって俺と境遇が一緒だ。
まぁ、それは多分ないとは思う。だって向こうは実の兄なんだし、流石に
近親相姦っていうのは危ないから。
でも、彼女は彼の雇い主である魔術師から魔術を習っていて、
しかも物を燃やすということにかけては師以上になる才能を秘めているらしい。
そして、彼女は式さんを相当嫌っていて、よく事務所内で喧嘩をして
その力でもって事務所内を燃やしているそうだ。
何というか…やっぱり幹也さんのことを兄としてじゃなく男と好きなんじゃないかって気がしてきた。
少し幹也さんに同情する。
それにしても、幹也さんも罪作りな人だ。
話を聞く限り、彼自身気づいてはいないが、もう一人彼のことを好きだと思われる女性がいる。
浅上藤乃さん――彼に中学生の頃に助けてもらって、かつ一度彼の家に泊まったことがあるらしい。
その時は何もなかったが、今では彼の職場に、鮮花さんと一緒に遊びに来ることがよくあるそうだ。
流石に最初は驚いたらしい。彼女はいつも鮮花さんから幹也さんのことを聞かされていて、
それが2度も助けてくれた先輩だとは思っていなかったようだから。
そして、式さんと仲が余り良くないらしい。鮮花さんほど露骨に嫌ってはいないものの、
たまに彼女に対して突っかかることがあるそうな。
しかも彼女にも人にはない力があって、
視線に捉えたものを強く念じることにより捻じ曲げることができるらしく、
また透視ができるらしい。
彼女もまたその力を使って事務所内でたまに暴れるものだから、
鮮花と一緒に暴れだした時は後始末が大変だ、と幹也さんはぼやく。
幹也さんは何故彼女まで式さんに突っかかるのかわからないらしいが、
周りの皆に朴念仁だとか唐変木だとか言われている俺にもそれは嫉妬しているからだとわかる。
けどそこまで気がつかないとは……幹也さんは俺以上に鈍感だ。
それとも本当に式さんしか見えていないのか……藤乃さんの恋路は多難のようだ。
そして、彼の雇い主は、蒼崎橙子さんというらしい。
その名前を聞いたとき、俺は先生と同じ名字であることに気がついた。
何か繋がりがあるのかもしれない。だって、彼女も表の顔は人形師だけど、裏の顔は魔術師だ。
今度先生にもし会うことがあったのならば聞いてみよう――そう思った。
でも、幹也さん曰く、給料をきちんと振り込んでくれないらしい。
何しろ、収入が入っても、何か掘り出し物があればそれに全額使うので、
最近、幹也さんは帳簿も自分自身でつけようと思っているらしい。
このままでは餓死するのが先なんだそうな。
俺も一日の小遣い五百円の身である。でも、幹也さんの場合、本当にシャレにならない。
何となく、彼に対して親近感が芽生えた。
それでもそこを辞めないのは、彼が彼女の作った人形に惚れ込んでしまったからだそうだ。
本当に生きているかのような完璧な人形――それに惚れ込んで通っていた大学を辞めてまで
彼は今の職場である『伽藍の堂』を探し出し、そこに入社した。
当初は人形を創る側に回りたかったらしいが、橙子さん曰く創る才能がないらしく、事務員として働いている。
でも、結界の張られた『伽藍の堂』を探しあてるほどの探査能力を高く評価されている。
その唯一といってもいい能力を使って、探偵まがいのことをして彼は生計を立てているそうな。
彼の話で一番驚きだったのは、彼の恋人である式さんが俺と同じ『眼』をしていることだ。
『直死の魔眼』―――まさしく『死』を直視している世界最凶の魔眼。
それを持っているのは世界でも俺一人だと思っていた。
でも、もう一人ここにいた。
彼女の場合は二年間昏睡状態で、かつ彼女の中のもう一人の自分が消えて、
それ故にこの『眼』をもつことができたらしい。
また、彼女は俺と同じく退魔の名家である『両儀』だ。
この力を持てるだけの条件は揃っている。
ただ俺との違いは、この魔眼封じのメガネなしで『眼』を制御していることだ。
同じ『眼』を持つ存在としてはあっちのほうが上かもしれない。
俺の中の『七夜』が騒ぐ。
彼女と戦いたいと。
彼女となら最高の殺し合いができると―――
そう考えて、俺は自分自身に苦笑する。
平穏な日常を求めているはずなのに、俺の心はあの殺伐とした世界を求めている。
やっぱり俺は、生粋の殺人鬼なのかもしれない。
「さて、と。そろそろ帰ろうかな」
幹也さんはそう言う。俺もそれに同意する。
別れ際に
「また会えますか?」
と聞いてみる。
「縁があればまた……ね」
と彼は返してくる。それが何とも彼らしい。
「それなら俺はその縁を信じますよ。それじゃあ、また会いましょう」
そう言うと
「そうだね、僕も信じてる。それじゃあ、また会おう」
そう言って彼は俺が来た方向とは逆方向に帰っていく―――
ふと、空を見上げる。
空には真円の月が出ている。
そして初めて気がつく。
今夜はこんなに綺麗な月が出ていたことに。
そして思う。
これからも俺と彼の日常に、この月光のように
淡いながらも光があらんことを―――
風俗 デリヘル SMクラブ