名無き者が求めしモノ




 深山町という町のはずれに、柳洞寺という寺がある。
 その寺は、由緒正しき一向宗の寺である。その門下の僧侶たちは五十名に及び、一人前の僧侶となる ための修行を朝に夕に欠かさない、ごくごく普通のありふれた寺だ。
 だが、今その寺は、そこにいる全ての住人がいないため、普段以上に静かであった。
 なぜなら、そこにいた僧侶たちと跡取りの家族は、先日、表向きには原因不明の病という理由ではあ るが、本当の理由は奇跡の器である聖杯を奪い合う戦い――聖杯戦争による被害のために入院したのだ。そしてその中に、マスターであった一人の男性――葛木宗 一郎の死亡が、その戦争を取り仕切る聖堂教会によって確認された。
 だが、その死体は最早ない。今、この寺にいる「影」によって跡形もなく消滅したのだ。

 その「影」は異様であった。普通ならば、影は光を受けて、平面においてでしかその姿を形作らない。 しかし、それは立体においてその姿を現しているのだ。人が見れば、まるでクラゲのよう――そんな印 象を抱くであろう。真実、それはまるでクラゲの如く触手を伸ばし、その触手にとらえしものを己の餌 として捕食する。僧たちが入院することとなったのも、この「影」によってである。
 そんな「影」とは別に、キイキイと、虫か何かが鳴くような音がしていた。そして、「影」とは別の 存在がそこにいる。
 髑髏の面をかぶったソレは、葛木宗一郎がマスターであったキャスターによって呼び出された、ここ の寺のサーヴァントであるアサシンから生まれ出た。否、そういうと語弊があるやも知れない。なぜな ら、本来のアサシンは、ソレ――ハサン・サッバーハであるのだから。
 聖杯戦争において、必ず召還されるアサシンは彼である。否、彼ではない。何故なら、その名は仮の 名でしかなく、その名を持つものは、何十人もいる。つまり、アサシンのサーヴァントとは、亡霊であ るのだ。
 ハサン・サッバーハ――中東における、今より約一千年前の暗殺者の帝国『山の老翁』の首領の名で ある。そしてその名を受け継いだ後は、己の今までの名を捨て、それを名乗るのだ。
 彼らは――『山の老翁』の者たちは、みなアラーに仕え、預言者の後継者イマーム を崇拝していた。だが、そのために、他の派閥より迫害を受けてきた。それもそのはずである。彼らが認 めたものは、預言者の血縁者のみ。そして、それ以外を認めなかった。それが他の派閥にとっては、狂信 的なものに感じられ、それ故に畏怖されたのだ。
 だが、彼らもやられたままではなかった。それから身を守るため、かつその教えを広めるためにとっ た方法が暗殺であった。その範囲は、当時の最高権力者から一般の市井の人間、老若男女関係なく、と いったものであり、その殺害法として、厳粛なアラーへの祈りを行う金曜日――最も注目が集まる日を 選び、成功した後、笑いながら死んでいった。
 そこまでしたのは何故か――それは神に認めてもらうためであり、後継者の世を信じていたため。そ して死後、その功績を認められて、神の御許へ行き、世の終末を安らかなる天国で見るためであった。 そう、我らは原理を信ずるものアサーシユーン。 それ故死など怖くない――そう考えていたのだ。
 だが、現実は違った。こうして、己の名すら与えられないまま、その教義に背く、忌み嫌う 悪魔シャイターンの同属とされたのだ。

 (……何故ですか、神よ)
 銀糸のような月明かりが差し、周りには「影」と、虫がキイキイと鳴く声がする中、闇を見つめて彼 は神に問いかける。
 (生前、私は貴方にずっと仕えてきた。だというのに、この仕打ちなのですか?)
 そう、彼は確かに神とその言葉を伝えし預言者の後継者にずっと仕えてきた。そして、その教えを広 めるために、殺人を犯した。だが、それは規律を守りとおすため。われ等の教義こそが至上たるため。 富などいらぬ。ただ、この身にあるものは神と後継者に対する忠誠のみ。
 そのためには、己の子をも殺した。何故なら、『山の老翁』における規律を守るため。それを破った 者は一体どうなるか――その見せしめのため。鉄のごとき団結を以ってでしか、相手に当たれなかった ため。
 だというのに、名を与えられず、こうして今、現世に召還された。名のある英霊としてならばまだい い。名すらも認められず、しかも反英雄として呼び出されるのだ。
 そう、本来の名は最早彼にはなく。ただ山の翁ハサン・サッバーハ としての役割の名のみ。たったそれだけ。
 (ならば私が貴方のためにやってきたことは、一体なんだったのですか?)
 ただ神のため、狂気とも言える信仰で以って、己の命を削り、仕えてきたというのにこの仕打ち。な らば、生前やってきたことは何の意味もないのか?
 けれど、そう問うても答える神はどこにもいない。ただ、自分とそして、今代のマスター――間桐臓 硯より見張るよう命じられた不気味な「影」だけがそこにあった。

 (不気味だ)  影を見て、ハサンは思う。そう、不気味であった。理性など欠片もなく、ただ本能のまま、自分の領 域に入った存在を喰らい尽くす「影」。そのあり方は、反英霊に近い。だが、その反英霊である自分で さえも、その領域に入れば喰われ、こうして存在していることなど抹消されることだろう。  ならば、一体何のために見張るように言ったのか、といった事を考えてみる。
 アレは、全ての英霊が敵うはずがない存在――暗殺者としての直感がそう言ってくる。そう、だれも あの領域に入れば敵わない。ただ、養分として喰われるだけ。
 だが、理性がないため、決して制御など出来はしない存在だ。ただ飢えた動物のように、自分の領域 に入ったものを喰らい尽くす――ただ、それだけの存在。
 (ならば、マスターは一体何を考えているのだ)
 制御出来ない力など、何の意味もない。それは、ただの破壊でしかないから。自分が生前行っていた 暗殺でさえ、教えを広めるといった目的があった。だが、「影」にはそんなものはない。喰らい尽くし た後に残るのはただ恐怖だけ。それならば、マスターの目的――「不老不死」を求めることなど出来は しないのではあるまいか。
 (まあいい)
 そこまで考えて、ハサンは思考を中止する。己は与えられた役割を果たすのみ。そして今は、この 「影」の見張り。何かしらの行動を起こしたのならば、それをマスターに知らせればいい。そう結論 付け、ハサンは見張りを続けた。

       ◇

 しばらくそうして監視していると、誰かが石階段を上ってくる。
 人か、と思ったが、それは違うと否定する。この気配は、人が放つものではない。それほど圧倒的で あった。
 となれば、答えは一つ。何かしらの英霊。
 ハサンは気配を隠し、堂の中に潜む。この身は、魔術師マスター 殺しのサーヴァント。故に、気配を隠すことには慣れている。事実、その特性 を活かし、先日ここにいたキャスターの主を殺した。如何に英霊といえど、易々とは気づかれるはずは ない。
 潜んで、じっくりと相手を見てみる。境内に上ってきたのは、青い鎧に身を包み、長い真紅の槍を携 えた英霊。上ってきたのは、聖杯戦争における三騎士の一角、ランサーだった。
 息を殺し、悟らせまいと潜む。不意をつくのならば、去ろうと後ろを向いた後。幾ら英霊であれ、そ うそう背後からの一撃はかわせまい――そう決めて、ふところの投擲短剣 ダークを手に取り、間合いを測る。
 だが、相手は、しばらく辺りを見回した後、こちらをはっきり見て、出てこなければ殺す、という殺 気を向けてきた。
 バレていた――そう思いながらもそこは暗殺者。数瞬で頭を切り替え、短剣を放つ。
 それならば、遠間から狙撃して倒すのみ。いかに相手が豹の如く敏捷であろうとも、この距離を詰 めるには数秒かかる。それならば、こちらの方が明らかに早い!
 相手に向かって三つの弾丸が迫る。狙いは両目と喉笛。そしてそれは、普通ならば決してかわせない ほどに速く、そして正確であった。事実、ハサンも殺った、と投げた後で確信した。
 だがその剣は、相手に刺さる前に、相手が持った紅い槍を一薙ぎされただけで全て払い落とされた。
 馬鹿な、と内心動揺する。今のは確実に殺ったはず。タイミング、速さともに手ごたえがあった。
「いい腕だ。が、二度とはするなよ砂虫。
 挨拶もなしで命を獲られるのは趣味じゃねえし、何よりお前にとっちゃ命取りだ」
 闇の中に潜むハサンに向かって、そう言ってくるランサー。そして、出てこないならば今度はこちら から攻め入る、と敵意を向けててくる。
 それならば、今度はもっと近い距離から投げつけるのみ――そう考えて、堂の中から出る。
 そして、もう一度相手に短剣を投げつける。今度は、眉間と喉笛を狙う一射目を囮に、その刃の 影を利用して心臓を狙う。
 しかし、結果は同じこと。それさえも、刺さらずに払い落とされた。
 ならば、と八本の短剣を、それぞれ違う箇所に同時に当たるよう放つ。これならば、槍の間をすり抜け るはず。
 だが、同じである。当たる前に、払い落とされる。
 そうして知りうる限りの投擲法で、長物 の死角をついて光に影に移動しながら三十本ばかり投げただろうか。そのどれもが当たらず、残る短剣は あと十本ほどになっていた。
「おいおい、お前の芸はそれだけか?」
 そう言って、より一層殺気を放つランサー。  否、違う。これがランサーの本来の殺気。先ほどは軽い敵意。そしてその殺気によって、空気が先ほ どとは比べようにならないほど凍りつく。
「ならこれで終いだ。
 お前が何者かは知らんが――まあ、その仮面ぐらいは剥がすとするか」
 そう言って間を置かず、ランサーは互いの間を詰めてくる。それを迎え撃たんと、銃弾のごとき速さ で短剣を放つも、その手に持った槍を少し揺らしただけで無効化された。だが、その僅かな隙を狙い、 ハサンは喉笛めがけて短剣を放つ!
 だが、それは悪あがきに過ぎなかった。ランサーはクルリと槍を反時計回りに回して短剣を防ぎ、下 から槍を掬い上げるという一連の動作を流水の如く滑らかに行い、髑髏の面を剥ぎ取った。

 (おかしい)
 仮面を剥ぎ取られ、顔を手で隠しながらやや離れた後、この状況をハサンはそう分析する。
 そう、おかしかった。幾ら英霊といえど、普通ならば、何本かは必ず刺さるはず。それだけは、己の 自負するところであるから。生前、短剣のみで以て標的を殺し、そのための訓練を決してかかさなかっ たのだから。己の投擲術は、技ではなく業――そう言っても過言ではないのだから。
 そして何より、これは屈辱だった。戦いの中、仮面を剥ぎ取られる、ということが出来るというのな らば、いつだって殺せたはずである。そう、遊ばれている・・・・・・のだ。 まるで猫がネズミをいたぶるが如く。そして、己の顔を見られたのである。
 生前、顔を髑髏の面で以て隠したのに対しては理由がある。それは、不穏分子を焙り出すためである。
 『山の老翁』の首領は、鷲の巣の城アラムート から出てこない。それならば、その下を探り、如何な計画をしているのかを探るのみ――外の連中に対 してそう思わせていることを利用して、その実内部を探るため。その為に、顔を如何な人間にでも化け れるようにした。それを、見られたのである。
「ギ――――ワタシのメンを、ミた、な、ランさー」
 殺意をこめて、ランサーに対して言う。そして、その言外に、なぜ殺さないのか問いかける。
「そりゃこれからだ。サーヴァントには、違いないようだしな。どこの英雄か、ハッキリさせるとする か」
「――――ク。ナルほド、ヨブンなシバりがあったのカ。ドウリで、殺サナイ、ワケダ」
 偵察であるのならば、それまでの行動に納得がいく。先ほどの動きが出来るのならば、勝負など一瞬 でついていた。所詮己は暗殺者。闇の下でこそその力は十二分に発揮される。しかし、光の下では 他のサーヴァントに敵うはずがないのだから。

       ◇

 短剣を握る。
 それならば、己の切り札・・・を出すのみ ――そう決めて、それが必ず当たる状況を作り出さんと考える。
「止めとけ。生まれつきでな、目に見えている相手からの飛び道具なんざ通じねえんだ。よっぽどの宝 具モノじゃないかぎり、その距離からの投擲はきかねえぞ」
「! ソウカ、流レ矢ノ加護、カ。……クク、サスガは名付きの英霊、私ナドとはモノガ違ウ」
 それならば、確かにハサンとは相性が悪い。なぜなら、ハサンにとっての戦闘方法は、所詮マスター 殺しと短剣の投擲を抜かせば切り札のみ。アレならば、倒せる自信はあるが、アレはランサーの 敏捷さを以ってならば、間合いの外に逃げられる恐れがある。
 そこで、一つ思い立つ。この身では敵わぬものの、ここにはすべての英霊が敵うはずがない存在であ る「影」がある。
 ならばそれを利用する――そう決めると、ハサンは現在の状況を把握する。
 短剣は残り五本。そして弾き飛ばされて自分の近くの地面に落ちている短剣は五本。そして「影」は ここから約三百メートル先の池で、獲物を待ち構えて佇んでいる。敵との距離は槍の距離より少し遠間 である八メートル。その距離を一瞬で詰めるほどの敏捷性を持つ相手。
 怪我の状況を確認する。喉を少しやられたためか、呼吸が少し苦しい。あと、腕を少しやられたよう だ。そこで、懐に手を伸ばし、大麻ハッシを 吸い込み、その痛みを和らげる。
 その副作用からか、精神が高揚してくるのがわかる。そうだ、これ位ならば、生前もっと痛い思いを してきた。ならば、これで問題ない。短剣は握れる。意識もはっきりしている。まだやれる!

 地に伏せて短剣を拾いつつ、それをランサーに投げつける。
 だが、当然の如くそれは無効化され、地に落ちて刺さる。
 しかし、投げつけた反動でもって後ろに退がる。そして、全速でランサーから逃げる。
 否、ただ逃げるのではない。その目的を悟らせないために、目的地とは逆の方向へまず向かう。
 当然のことながら、それを逃がすまいとランサーが追う。だが、追いつけない。その槍の範囲に相手 を捕らえんとした時に、短剣を放ってくるためだ。ランサーとて敏捷はAクラス。だが、それでも追い つけない相手。
 内心舌打ちした。相手の喉を潰したから痛みで逃げることなどできるまい、と心のどこかで油断して いた。人間同士の闘いであればそうだったであろう。だが、これは聖杯戦争。互いに闘うは、人ならざ る身。その油断を、見事相手につかれたのだ。
 そのように命がけの鬼ごっこをして数分。目的地である池にたどりついた。「影」はこの池の中心に 潜んでいる。そこまでひきつけるため、ハサンは相手に気づかれないように少し速度を落とす。
 あと二秒ほどで追いつかれる距離になる。最早、相手の槍が己を捉えうる距離。それを保ちつつ、 「影」のギリギリの所まで踏み込み、跳躍する。それを相手が、その行動は対岸の陸に上がるための動 作と思わせるように。そして、事実相手はひっかかった。飛び上がったところを狙わんとして、槍を繰 出さんとする気配がしたものの、いつまでたってもその槍が己の脚を貫くことはなかった。
 後ろを振り返ってみてみる。守りのルーンを刻み、「影」に飲み込まれまいとあがく相手。その守り は、上級の宝具の威力さえ無効にするだろう。
 ほう、と密かに感嘆する。これほどの守りのルーンを刻むほどの魔術の腕があり、そして、真紅の槍 を持ち、どこまでも勇猛果敢に相手をなぎ倒さんとするその姿。
 そこで、相手の正体が分かった。
 クー・フーリン。アイルランドにおいて、光神ルーとアルスターの王コノールの妹デヒテラとの間に 生まれた、英雄となることを定められし存在。
 そして、己の子を国のため、という大義のために殺しても、その死後において名のある英霊として 認められし存在。
 同じ子殺し。大義も同じ。だが、その死後のあり方は互いに真逆なもの。一方では自身の真名を持 っていて、一方では持たぬ存在。
 ハサンは笑いたくなった。自分とランサーのどこに差があるというのか。為すべきこと、国のため―― その為には己の子さえも殺した。だというのに、この結果は一体なんなのか。
 (許せない)
 より一層、ランサーに対して怒りがこみ上げる。そう、許せない。自分が欲しい物を相手が持っている ことが。その行いが認められていることが。
 だが一方で、神に感謝する。このような相手と引き合わせてくれるのならば、あの力で以て勝ち抜け、 と言っているのではないか、と考える。そう、これは神が与えたもうた試練。この相手を倒せねば、己 の目的は果たせない。
「ドウした、ラんサー。動かねば、呑まれルぞ」
 「影」に呑まれまいとして、守りのルーンを張り続けるランサーに対してそう言う。最早、ルーン による陣地は少なく、あと数分もすればランサーは「影」に呑まれ、養分となるだろう。
「ダガそうはイかん。お前を仕留めルのは私ダ。イマだ経験ガ足りナいノデな。オマエヲ打倒シ、タリナ い知能ヲ、補ワネバ」
 そう、お前は私の獲物。だから、決して逃がしはしない。お前はこの場で死ね、クー・フーリンよ!
 最後の詰めとして、短剣を投げる。当然の如く、無効化されて落ちる短剣。
 ランサー自身、その行動に対して、何を今更、と侮った眼を向けてくる。相手は完全に、ハサンを侮 りきっていた。それが、ハサンの目的とは知らずに。
 ランサーが一つため息をついた。このまま易々と喰われはしない。残念だったな、とその顔は言って いる。
「そこで動かなかったオマエの負けだ。様子見も済んだ、ここらで引き上げさせてもらおうか」
 そういって槍を撓ませ、ランサーは棒高跳びの体勢をとった。
 相手の投擲術など通用しない。だから必ず逃げ切れる。そう言っているように感じられるほど、その 行動は隙だらけで。だが、それこそがハサンの待ち望んでいた行動だった。
 右腕に巻いた布をとる。そして現れる腕。
 それは、普通ならばありえなかった。なぜならば、布をとった腕から出てきたのは左腕の二倍ほどあ る長さの右腕。
 (貴様の心臓を貰い受けるぞ、御子よ)
 そうハサンは心の中で呟いて、その魔手を相手の心臓に押し付け、心臓を取り出した。

 妄想心音ザバーニーヤ。イスラム世界に おける、地獄においての裁きを執行する天使の名。だが現実は、悪魔の力を借りての呪い。しかし今は この能力に感謝する。何故なら、これは、きちんとした守りがない限りは防げない攻撃であるのだから。
 そしてランサーは、何が起こったのかわからない、という表情を浮かべたまま、水面に倒れこんだ。 水しぶきがあがり、「影」がその死体を貪るべく近づいていった。

       ◇

 心臓を丸呑みにして、死体を一瞥する。もうすぐ、「影」によって喰われるその身体と魂。だが、そ の強さの一部は、己の中で息づいている。
 アサシンの能力として、相手の心臓を喰らってしばらくすると、その持っている能力が発揮されるの だ。
 その名は自己改造――三度まで行うことができ、その代償として、正純の英霊とはかけ離れていく。
 だが、それでもいい。強くなることが出来るのだから。求めるものは、その先にあるのだから。
「カンシャすルがいい。クー・フーリン。キサマの力を、私が使ってやろうというのだからな」
 互いに同じようなあり方なのだから、光栄だろう、と笑いながら、死体に向かって話しかけた。
 けれど、そう話しかけても最早相手は死んでいる。それ故答える口は最早なく。
 戦いが終わり、「影」が心臓を抉られた死体を食べる中、ハサンはただただ笑う。

 (神よ)
 笑いながら、またハサンは神に向かって話しかける。

 神よ、私に名を許さず、山の翁として存在しろというのならば、私はその役割を果たしましょう。 貴方の教えに背いている、悪魔の眷属として堕ちしわが身。それでも貴方の決めたとおり、この仮の名 を背負っていきましょう。
 ですが、この戦いに勝ち残った暁には、私を認めてください。この仮の名を、私だけの名にして下 さい。ただ、望みはそれだけです。その為ならば、私は命を惜しみません。
 何故なら、私は貴方を愛しているのだから。貴方の血から生まれでた、貴方の子であるのだから。

 銀色に輝く月の下。虫の鳴き声に混じって、信じてきたもの に裏切られし殉教者はただただ笑う。
 そしてその声には、認められずに足掻く自身を自嘲している響きが混じっていた。


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