魔女の想い




―――何もしなくていい。望みなど、この身にはない。
女が望みを聞いたとき、男はそう言いきった。


 葛木宗一郎。それが女―――キャスターの新たな主の名。
 思えば不思議な男だ。生きているのに死んでいる、という矛盾を抱えている。
 そう、あまり物事に拘らないくせに己のとった行動に対しては誠実である、という風に。


 そもそも出会いからして変わったものだった。
 明らかに不審者であるわが身を匿い、そして弱りきったわが身を救うために肌を重ね、契約を行った。
 そして、下宿先の柳洞寺の面々にも己の婚約者、という風に取り成した。


 あの時の契約を思い出す。
 阿修羅のように荒々しく、菩薩のように慈愛に満ちた交わい。それを思い出すだけで、己の身体が火照ってくる。
 男を知らぬわけではない。
 人であったとき―――つまりは『魔女』と呼ばれし時にも経験があったし、前のマスター―― 最低の男であったが――にも抱かれている。
 にもかかわらず、あの時を思い返すと初心な生娘のようにこの身が熱くなる。


 男、いや他人は皆同じであり、そして最後は裏切るものだ。
 生前はずっとそうだった。
 己を魔女と呼ぶ民衆。
 全ての悪を異国から来た己に押し付ける。
 そうやって、各々を救っていたのだ。
 そう、わが身は都合のいい道具だった。


 ―――馬鹿なことを
 女はあの時そう思っていた。
 そう、馬鹿なこと。そうやっても、決して救いは訪れない。
 罪を犯した意識がないのに何故救いが訪れよう。そうやっても問題の先延ばしとなるだけだというのに。


 だが、新たな主は違った。最初は傀儡にしようと考えていた。
 自己というものが感じられず、ただそこにあるだけのように思えたから。


 しかし違った。自己がないのではない。過去がないためそう感じただけだったのだ。
 だが、それ故に空っぽだというわけではなかった。
 誠実であり、まるで合わせ鏡のような彼がいた。
 何もかもを受け入れてくれた彼がいた。
 ありのままの己を受け入れてくれた彼がいた。


 気がつけば、彼を想う自分がいた。
 彼のために何もかもしよう、という自分がいた。
 サーヴァント、という立場など関係ない。
 死ね、と命じられれば死ぬだろう。
 それが令呪抜きであっても。


 だが、彼は何も望まなかった。
 聖杯そのものにも興味がなかった。
 この身は朽ちた殺人鬼。最早ただ死ぬのを待つのみ。そんな存在に望みなどないと言い切って。
 そして、そんな己だからこそ、お前の望みのために闘おう、とさえ言い切った。


 それならば、私は一体何を望むだろう?
 聖杯ならば、確かに大部分の目的は叶えられよう。
 再び人としての生を送ることもできるだろう。
 だが、そんなものは望まない。
 なぜなら、己が望みはただ一つ―――


「どうした、キャスター?」
主である宗一郎が尋ねる。
「何もありませんわ、宗一郎様。どうやらネズミが入り込んだようです」
「ふむ。衛宮たちか?」
「どうやらそのようですわね。本当にバカな子達」
キャスターはクスリと笑う。
 そう、本当にバカな者達だ。各々のサーヴァントはわが掌中。幾らわが身が最弱であれ、 人間がサーヴァントに勝てる道理がない。そして、宗一郎も人間としては トップクラスの戦闘能力を保持している。それでも窮地に陥ったのならば、その時は令呪を用いて セイバーを呼び出せばいい。
 そう、この布陣なら勝てる道理がないのだ。それでも敢えて挑むというのなら―――


「迎え撃ちましょう、宗一郎様。警告を無視してまで挑んでくる愚か者には、最早命を救う意味などありません」
ふむ、と頷き、
「ならば共に闘おう。………無理はしなくていい」
そう自分の身を案じる、宗一郎の何気なくも優しい言葉に反応して、
「そ、そのような勿体無いお言葉を。ええ、大丈夫です。その時は貴方が助けてくれるのですから」
そうしどろもどろになりながらも返す。


 そして言った後で、主を守るべき己が守られてどうするのだと気づく。
―――何を言っているのだ、わたしは。
 少し自己嫌悪に陥るキャスター。
―――こんなわたしだから、宗一郎様はわたしを信頼してくださらないのだ。
 ますます自己嫌悪に陥るキャスター。
―――情けない、と思われただろうな。
 最早何も聞こえないほど、自分の考えに没頭する。
―――何故わたしはいつもこうなのだろう?
 己のやる事なす事全てがうまくいかない事を自嘲する。


 だが、宗一郎はそんな様子を気にもせず、
「―――当たり前だ」
と言ってくる。
「え?」
キャスターは主の方を向く。
「聞こえなかったか?当たり前だ、と言った。お前の身が危うくなれば、私はお前を助けよう。そうでなくては、 共に闘う意味がない」
「あの、そう、いちろう、さま?」
「なんだ、不満か?」
そういつもの調子で聞いてくる宗一郎。
「い、いいえ!不満などありません!!寧ろ、宗一郎様がわたしを助けていただけるのでしたら、 たとえ
セイバーだろうとバーサーカーだろうと負けはしません!!」
そう言いきるキャスター。その様子に、
「頼りにしている」
といつもの調子で素っ気無く言う。だが、キャスターは気づく。 その表情にほんの僅かながら微笑みが
混じっていたことに。その初めて見た微笑みに、しばし見惚れて固まるキャスター。


「どうした?」
そう聞いてくる彼女のマスター。それに気づいて、
「い、いいえ!何もありません!!」
と、顔を赤くしながら答えるキャスター。
言えない。その微笑みに見惚れていたなんて。
しばし、沈黙が流れる。だが、それが不思議と心地よかった。


だが、その時間を壊して、一瞬にして空気が冷たいものへと変わる。その空気を変えたのは
「来たな」
主たる宗一郎の殺気である。
そして侵入する少年と少女。
どうやら、少年が主の相手、少女が己の相手をするらしい。
―――いいだろう、そういうつもりならば容赦はしない。
キャスターは少女に向かい合い、宗一郎も少年に向かい合う。
―――わたし達の邪魔をするというのなら
魔力をその手に溜める。
―――その身を以って思い知らせてくれる。
そして、闘いは始まった―――


 キャスターの願い―――
 それは主と共に同じ時間をできるだけ長く共有すること。
 彼を護り、彼に護られること。
 そんな些細なことだ。


 けれど、聖杯にも叶えられない願い。
 聖杯を手に入れた瞬間に壊れてしまう願い。
 それほど脆い、けれども大切な願い。


 その願いと、主への想いを胸に秘め、キャスターは己が力を振るう。
 この想いの結末に何が待つかは、いずれ答えが出るだろう。
 だが、それでもキャスターは望む。
 幾ら逃げでしかなくとも、その結果が出るのが、少しでも先となることを―――



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