月明かりの下で−3




 罪を犯したのならば、その罪を背負って生きていかなくてはならない――――それは聖杯戦争の際に 士郎によって気づかされたことだ。
 大なり小なり、生きていく上で人間は必ず罪を犯す。その上で、その罪から目をそらして生きていく のか、それとも向き合って生きていくのか――――それは人それぞれだ。
「なら、わたしはどっちなんだろう」
 ただ窓からもれる月明かりだけが部屋を照らす薄暗い部屋の中で、桜はそう呟き、考えてみる。
 自分の快楽のために、他人の命を奪うという、人間として最も許されない罪を犯した自分。しかも、 それを立証するすべはない。ならば、それは自分なりに真正面から受け止めて償いながら生きていく べき――――そう思ってはいる。
 けれど、その償う方法が分からない。何もせず、のうのうと生きているだけだ。

(何も言ってくれないんだな、桜)
 先ほど士郎に言われた言葉が、そして心配してくれている表情が思い浮かぶ。何故、味方である自分 に何もかも話してくれないのか、どうしてそんな辛そうな顔をするのか、と問いかけてくる。それを桜 は無理やり頭から振り払った。
 本当は、言ってしまいたかった。洗いざらい話して、何に囚われているのか、そしてその呪縛から解 き放たれたかった。けれどもこれはどこまでも自分の問題だ。士郎は何があってもずっと桜の味方であ る、と誓ってはくれたけれども、これは誰にも肩代わりなんてできない、最終的には自分だけで解決し なくてはならない問題。この問題を士郎に話せば、より一層士郎に重荷を背負わせることになる。
 ただでさえ自分の味方となるために、「正義の味方になる」という想いを捨て、そして自分の本当の 身体を失っても士郎はそう誓ってくれた。そんな彼の想いに対して、自分は何も返せているだろうか、 と自問してみるも、何も返せてはいないという結論にたどり着く。だからこそ、それ以上負担をかけた くはなかった。
 それに、耐えることには慣れている。十三年前から二年前に至るまでの十一年間、ずっと受けてきた 精神をも蝕む恐怖と痛みに比べれば、これ位どうということは無い。
 士郎を騙しとおす事にも慣れている。その証拠に、聖杯戦争中、少し違ったら、間桐家の――いいや、 マキリの秘密にずっと気づかなかったに違いないから。そして、嘗てはそうしようと努めて きたのだから。
 ならば、これからも、それを抱えたまま生きていけばいい。きっと、最後には忘れてしまい、笑える ようになるから――そうやって、今夜もまた、自分が囚われていることから逃れようと、目をつぶり、 眠りに落ちようと――
 した時、ドアをノックする音が聞こえた。

            ◇

「桜、起きてるか?」
 部屋のドアをノックした後、部屋の外から声がかかった。今、桜にとっては最も会いたくない人間で ある、士郎の声だった。
「ええ、起きています、どうかしましたか?」
なるべく不審に思われないように、眠たげな声を出した。その様子に少しひるみつつも、士郎は桜に話 しかける。
「……少し話をしたい。いいかな?」
「どうかしたんですか?」
「ちょっと……な。だめか?」
(一体どうしたんだろう? さっきの事だろうか)
 その誘いを受けるべきか否か、桜は少し考えた。
(けど、ここで断ればより一層心配するだろう)
ならば、ここで話を聞いたほうがいい。そう考えて、「いいですよ、どうぞ」と声をかけた。
 その答えを聞いて、士郎は部屋に入ってきた。
「それで、何の話をしにきたんですか?」
 電気をつけ、ベッドから出て、桜は座布団を床にひき、そう尋ねた。士郎も座布団を床にひき、少し 間をおいて、
「さっきのことだけど……いいか?」
と尋ねた。
 きたか、と桜は内心思った。けれど、その内心の動揺を抑えて、「ええ、いいですよ」と何事もない ように答える。
「それで、どうしたんですか? 一体」
 そう士郎に問いかけた。そして、どうやって心配を取り除こうかと、桜は心なし身構えた。騙すこと に対し、罪悪感を感じない、といえば嘘になる。けれどそうしなければ、何も返せないのだ。
(だって先輩が求めているのは、傷を乗り越えて強くなったわたしなんだから)
心の中で自分に言い聞かせる。そう、きっと士郎が求めているのは、いつまでも悩まずに自分の足で歩 もうとする自分だ。それならばそれを演じればいい。そうすれば心配を取り除くことができるはず。そ してそれこそ、今の自分にとって大事なこと。
 そう考えをまとめて、士郎が何を言うのかを静かに待った。
 しかし、その口から出たのは、「ごめんな」という謝罪の言葉だった。

「え?」
 虚をつかれて、桜は固まった。何故謝るのかが、わからない。先輩は何も悪いことはしていない。む しろ悪いことをしているのはわたしのほうだ。なのに、何故?
「どうして、謝るんですか?」
「え? ああ、さっきの言葉に対してだよ。ちょっと言い過ぎたかな、って」
「……それを言うためにわざわざ?」
「ああ、そうだけど」
どうかしたか? と不思議そうに士郎が尋ねてくる。
(なんて事だろう)桜は思った。
今の今まで考えていた事は、全部無駄だったのだ。
(だったら今の今まで考えていた自分は一体何だったんだろう)
ずっと眠れずに考えていたことは、すべて無駄だったのだ。そう考えると、馬鹿馬鹿しくなった。そし て何故だか、士郎に対して怒りがわいてくる。
「……先輩」
「ん?」
「夜更かしは女性にとって天敵だって知ってます?」
「え?」
まだ分からないのか、頭にクエスチョンマークを浮かべて考え込んでいる士郎。それが、桜の怒りに火 を注ぐ。
「だ・か・ら! こんな夜更けに来てまで話すことがそんなことですか! あなたは!!」
「ちょ、ちょっと桜、落ち着いて……」
「落ち着いていられますか! 大体先輩はいつもいつも……!!」
何とか宥めようとする士郎。しかし、それは無駄だった。 それに気づいて、士郎は黙りこんでそれを聞いていた。
 一通り士郎に対して愚痴を吐き出した後、桜は一息つく。大声を出したせいか、かなり息が荒いの を自覚した。
 何で、夜中だというのにこんな風に疲れてるのか、全く以ってわけが分からない。
「……ふっ」
思わず、笑いがこみ上げてくる。そして、次の瞬間、
「あはははは!」
と笑い出していた。さっきまで眠れずに悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくて、そして、何も分からずキョ トン、としている士郎がおかしく感じて。
 こんなに笑ったのは、いつ振りだろう、とふと思った。傍を見れば、士郎がそんな自分を見て微笑んで いた。

「やっと、笑ってくれたな」
笑い声が収まった後、士郎はそう桜に言った。
「え?」
「――そんなに笑ったのって、初めてじゃないか?」
「あ……う」
急に、恥ずかしくなった。
 そして、気づく。確かにこんなに笑ったのは初めてだ。間桐家に預けられて以来、ずっとこんな風に 笑うことなんてなかった。衛宮家に手伝いに来るようになってもそうだ。安らげる、この場所を壊すの が怖かったから、心のどこかで一線を引いていた。
 だって、家族じゃないから。
 いくら居心地がよくても、本当の家族にはなれない、と思っていたから。
 所詮、自分は「人形」。だから、「人間」として扱ってくれる衛宮家 こ こ は暖かくて。
 だからこそ、ここは自分の居場所じゃない、と考えて。
 いや、今でもそうなのかもしれない。だって、あれから2年間経つのに、こんなに笑ったのは初めてだ から。

「……先輩、ひょっとして」
わたしを、元気付けようと、と言う前に、
「なあ、桜」
士郎は不意にまじめな顔になった。その様子に、桜も少し身構える。
「そういう風にさ、笑ったり、怒ったりできるよな、今」
「……」
「だから何もかもをさ、抱え込まないでくれないか?」
 その言葉に、ドクン、と心臓が跳ね上がった。
「……何を、言ってるんですか? 私はいつも通りですよ」
努めて冷静に返し、作り笑いをする。
「じゃあ何で、こんな夜遅くまで起きてたんだ?」
「それは……」
「頼むから、正直に答えて欲しい」
「ッ……!」
「もう一回聞く。何でこんな遅くまで起きていたんだ?」
「……」
桜は、言いよどんだ。話すべきだろうか、それとも話すべきではないのか。それがわからない。
「……答えてはもらえないか」
「……答えるも何も、ただ起きていただけです。それじゃダメですか?」
苦し紛れにそう誤魔化す。ただ内心、しまったと思った。その声に、少し震えが混じってしまったから。
「――やっぱり、まだ辛いのか? あの事が」
その様子を察して、続けて尋ねてくるその問いに、桜は首を横に振った。確かにあの事は一生の問題だ から辛い。けれど、本当に囚われているのはそれではないから。
「じゃあ、何をそんなに悩んでいるんだ?」
その問いかけに、桜は答えなかった。士郎は目を瞑り、ため息を一つつく。
「……俺はお前じゃないから、何に囚われているかなんて本当には分からない」
「……」
「でも、言ったよな。俺はお前の味方だって」
その言葉に、桜はうなずいた。そうだ、誓ってくれた。そして今でも十分にそれを果たしてくれている 。
「だから、話してくれないか、何に悩んでいるのか」
おせっかいだっていうのはわかってるけど、それが味方ってもんだろ? と言って、士郎は桜に顔を 向けた。

            ◇

 士郎の問いかけに、話すべきか話すまいか、桜は迷った。
 その気持ちはうれしい。心配してくれているのが分かるから。けれど、これを話せばどうなるだろう か、と考えると、どうしても踏ん切りがつかない。
「桜」
その様子を見て取って、士郎が話しかけてきた。
「そんなに俺は、頼りないか?」
 その言葉に、桜は首を横に振った。そんなことはない。だってこんなにも自分を心配してくれている のが分かるから。そしてこんな士郎だからこそ、桜は彼を好きになったのだ。
 口下手で、朴念仁なくせに、どこまでも優しくて真っ直ぐな彼。
 中学時代、赤い夕焼けの差す中で高跳びをしている姿を思い出す。土埃にまみれたその姿は傍から見 ればどこまでも滑稽だった。けれど、それを笑えはしなかった。何故なら、そこには無理でも一つのこ とを為そうとする純粋な意志があったから。そして、それこそが自分が「人形」から「人間」へとなろ うとしたきっかけだったのだから。
 それに初めて衛宮家に手伝いに行った時も、無愛想な顔をしつつ、料理を教えてくれて、そしてその 結果、安らげる場所を手に入れた。それを壊したくなかったから、自分自身のことを黙っていた。

「桜」
 しっかりと、桜のほうを見てくる士郎の瞳。その眼差しには、何があっても必ず支えてみせる、とい う決意が見て取れ、かつ安心感を与えてくれる。
 そしてそれを感じて、桜は決心した。
 話そう、と。
 本当に囚われていることについて、洗いざらい話してしまおう、と。
 その結果、士郎が今まで寄せてくれた信頼を失ってしまうかもしれない。そして、自分のこれ以上自 分の味方になってはもらえないかもしれない。それは、確かに怖い。
 けれどそれ以上に、今、士郎が自分に向けてくれている気持ちを無碍にすることはできなかった。
 仮初だけれども、どこまでも綺麗な理想を追い求めていた彼を、穢れている自分のわがままな想いで 以って穢してしまった自分。
 それ故に、思う。
 これ以上隠し通すことは、その時の想い――そんな士郎が好きだ、ということまで、穢すことになる。 それは嫌だった。だって、それだけが、あの日の間桐桜にとっての真実だったのだから。

「先輩」
 桜は士郎の顔を見て話しかける。その時、お互いの目と目が合う。そこに写る、自分の姿。誰よりも 穢れていて、誰よりも卑怯な自分自身。世界で一番嫌いな自分。
「わたしは、臆病者です」
「そんなこと、わかってるさ」
それがどうした、と士郎は返す。言外に、どこまでも臆病で、だからこそ自分が傷ついても誰にも 頼らずに独りで生きてきた彼女をきっと支えてみせる、という想いを込めて。
「ううん、わかってない。だって」
士郎の方に手を伸ばし、桜は士郎に抱きついた。その行動に驚いて、士郎は身をよじらせて桜の腕を振 りほどこうとして、やめた。

 桜が、震えていた。
 それはまるで、たった独り取り残された迷子のようで。
 それ故にそれを振りほどくのは、ためらわれて。
 だから、士郎は何も出来ず、ただ桜のなすがまま、固まった。

「……だって、わたしが精一杯勇気をだしてできるのは、こんなものなんです」
士郎の胸に顔を埋めながら、桜はそう自身を自嘲する。
「桜……」
「卑怯ですよね。でも、こうまでして貴方に嫌われないようにしないと、わたしは生きてさえいけない んです」
桜はそのしがみつく腕をより一層強くして、まるで子供が自分に言い聞かせるように呟いた。

 そう、わたしが勇気を出して出来るのは、たったこれだけのこと。
 ただ、あなたに離れて欲しくないから、縋って。
 どこまでも卑怯で、わがままなわたし。こうやってまで、貴方の気持ちをつなぎ止めようと必死にな って。
 初めてできた、たとえ姉さんであっても渡せない、わたしにとって宝石のような存在である貴方。
 「人形」だったわたしを、「人間」へと引き戻してくれた貴方。
 誰にも譲れない、かけがえの無い貴方。

 本当の罪は、士郎への独占欲――それを桜は改めて自覚する。多くの人間を殺し、その未来を奪った というのに、それに対する罪悪感はあまり感じなかった。むしろ、それを考える度にいつか士郎は離れ ていくのではないか、という浅ましい考えが常に頭をよぎっていた。
 多くの人間を殺したことと、たった一人の想い人に嫌われることを天秤にかければ、後者の方に 対してそれが重く傾いていた。
 それをずっと、今まで言えなかった。そして今、こうやって縋りついている。
 なんて卑怯者だろう、と自分でも思う。そして、より一層自分がいやになる。だから、決して自分は 彼に釣りあわない。それは分かっている。それでも譲れないのだ。

「桜……」
士郎も自由になった腕を回し、桜を抱き返す。
 桜は士郎の胸板に頭を寄せた。そこからトクン、トクン、と規則正しく士郎の心臓が鳴っている音が 聞こえる。その鼓動リズムは、桜にとって 他の何よりも安心できる音だった。
「……ごめんなさい、こんなことを言って」
ややあって、桜は口を開いた。
「幻滅……したでしょ」
「……」
「いいんです、それだけの、ことを、していますから。だって、わたしはまず、大勢の、人たちを、殺 したことを、まず償わなきゃ、いけないのに」
泣くのを耐えているのか、その声には震えが混じる。
「でも……でも……」
「いいよ、桜」
士郎は自由になった腕を桜の頭にまわし、子供をあやすように話しかけた。
「我慢なんて、しなくていい」
「せん……ぱい?」
「それに、俺はそんなこと気にしない。それに、そんな桜の味方だって、俺は誓ったんだから」
「でも……」
「ああ、もう、じれったい! つまり俺が言いたいのはな、」
なお渋る桜に業を煮やして、士郎は桜の頭をより一層自分に引き寄せる。
「……だから、俺が言いたいのは、泣きたい時は思いっきり泣けってことさ」
「……」
「……それに、味方っていうのは、そんな事があっても支えるって事なんじゃないのか?」
その問いに、桜はハタと立ち止まる。

「先輩……苦しいです」
士郎の胸に抱かれて、桜はそう一言だけ漏らした。どちらの意味で苦しいのか。それは多分両方なんだろ う、と心の中で思う。
「構うもんか。大体、俺だって悔しいんだぞ」
 その言葉に、士郎は少しすねて返す。
 そう、悔しい。
 味方になると誓ったのに、こうやって悩んでいる彼女。彼女から話すのを待っていたけれど、結局 話されず、今の今まで何も話してくれなかったのだから。
 自分で犯した罪は自分で償うべき――それは確かにそうだろう。でも、そうだとしても。
「味方だっていったのに、結局頼ってくれないんじゃ、本末転倒じゃないか」
「それは……」
「悪いと思ってるなら、今度から少しは甘えろ。聞くことくらいなら、いつだって出来るんだからな」
 その不器用な言葉に、桜はクスッ、と笑った。そして、彼を好きになってよかった、と心の中で思う。 そして、彼に会うことができた運命に、改めて感謝した。
 桜も、士郎を抱く力を少し強くする。
「……じゃあ、少しだけ、胸をお借りしますね」
そう言って、桜は堰を切ったように泣き出した。その泣き声に、ごめんなさい、ごめんなさい、という 言葉を混ぜて。まるで子供のように。今まで泣けなかった分を出し切ってしまうように。

 士郎はそんな桜をあやしながら、考えた。
 自分自身をどこまでも臆病で、卑怯だと桜は言った。でも、それならば自分はどうだろう? 自分だ ってあの日――12年前に切嗣が助けてくれて、そしてその想いが綺麗だからそれに憧れて、全てを救 う『正義の味方』になろうとした。結果はなれなかったけれども、少なくとも10年――もう記憶の片隅 にすらない本来の名前を生きてきた時間よりも長く、自分を生かしてくれた。

 けれど、それは考えようによっては、ただ依存していただけではないのか?
 その憧れた気持ちに間違いは無い――そう思ってはいる。
 しかし、それは自分から生じたものではない。
 所詮は理想。決して現実には叶わぬもの。
 何故なら、全てを救う、ということは例え想像の産物であろうとも、神ですら不可能なことなのだか ら。

 それであっても、その想いを信じた。
 だって、どこまでも綺麗だったから。
 例えるならば、夜の闇に覆われた世界を照らす月の光。
 硝子のように脆くも、優しくも闇を振り払う光。
 月は太陽と違い、自分では光ることが出来ない。
 その光は、所詮太陽の光を反射したもの――つまりは太陽の光の借り物に過ぎない。
 それでも、その明かりは見ようによっては太陽のそれよりも優しく、美しい。
 そんな光のような想いを信じ、自分自身も生きてきたのだ。

 何のことは無い。結局、人は独りで生きられない。
 それぞれが各々の想いを抱いて、迷いながら周りと共に生きていく。
 (ならば、それを抱えていけばいいだけだ)
 士郎は、そう心の中で呟いて、桜を一層抱きしめた。


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