月明かりの下で―1



 空から降り注ぐ、銀色の光。それは、「夜」という名の闇に囚われた世界における あかり
 その名は月光。その光は、太陽のそれに比べて、硝子のように脆く、そして糸のように繊細。
 けれど、夜の闇の中に囚われた世界を照らすそれは、余りに優美。 例えるならば母親の抱擁。どこまでも優しく、闇に囚われた世界を優しく包む。
 日課の魔術の鍛錬を終えて、庭でその光を浴びながら、士郎は空を見上げてその月を見ていた。
 昔から、いいや、衛宮家に養子になってから、士郎は月を見ることが好きだった。
 その淡い光はあの日―――ただの「士郎」から「衛宮士郎」が生まれるきっかけとなった、 切嗣が自分に向けてくれた想いのように綺麗で。
 その光は、あの火事で一人生き残った自分すらも生きていてもいい、 と言ってくれているような気がして。
 そして何より、切嗣と一緒にいることを一番実感できたのが、この時であったのだから。
「月を見るのも、久々だよな」
 そう士郎はひとりごちる。月はあの日見たそれと全く変わらない。いや、これからもずっと変わらないのだろう。
 移ろいゆく人の世にあって、不変である月。一体どれほどの世の移り変りを見てきたのだろう?
 そんな月を切嗣と一緒に見た日々からもう七年ほど経つ。
 今日のようにここに座り、月を見ながら一緒に色々な事を話した。
 士郎は目を閉じて、その日々のことを思い出す―――

             ◇

 ―――その日の夕食の味や量について話した。
 切嗣も大河も料理が下手だったから、士郎が作っていた。
 二人ができる料理は、簡単なものでカップに湯を注ぐだけ、 難しいものでパスタをゆがくだけ、というひどい有様だったから。
 当初士郎もそんなに料理が出来たわけではなかったけれど、そういう状況だったから 自然とそのスキルが身についていった―――

 ―――大河との間で起こった喧嘩について話した。
 がさつだけれども、自分の面倒をきちんと見てくれる、血がつながっていない自分の姉。 そんな彼女との間で、ほんの些細なことで起こった喧嘩。その日はお互い意地になって一言も口をきかなかった。 そういった不満を切嗣にぶつけると、切嗣は、そういう時は自分から折れること、女の子は大事にすること、 と、その度に口を酸っぱくして士郎に諭し、士郎自身、その翌日には自分から折れて仲直りしていた―――

 ―――当時通っている小学校で起こった事について話した。
当時、士郎はいじめられていた。 曰く、親がいないから、と。切嗣が本当の父ではないから、と。小学生なのに家事がやれて女みたいだ、と。 「言葉」という名のナイフで以って、相手は士郎を傷つけてきた。 それでも負けなかった。それでも学校に通って、ある時相手に立ち向かい、相手を殴り、喧嘩になって、 その結果、いじめていた相手は何も言ってこなくなった。 それを話すと、傷だらけでごわごわした、だけれども暖かい大きな手で、よくやったと言って、頭をなでてほめてくれた―――

 ―――切嗣が行った外国のことを聞いた。
 度々切嗣は家を空けるときが多かった。その行き先は大抵士郎が行ったことのない外国。 その旅行中に起きた事件を、いつもわくわくしながら聞いていた。それは士郎にとって、 そこの特産品などのお土産などに比べて、何よりのお土産だった―――

 ―――士郎が大きくなったら、月見酒をしようという約束をした。
 士郎と切嗣だけではなくて、大河も呼んで三人で やろうと。でもそうすると、お酒もいいけど料理を多く作らなきゃいけない、三人のうちの一人が三人前は食べるから、 と話すと、それもそうだと、お互いに笑いあった―――


 その日々の名は、幸福。
 切嗣ちちがいて、 大河あねがいて、士郎がいる、三人の生活。
 時には喧嘩して、それでもすぐに仲直りして笑いあう、ささやかだけれども暖かい、まるで宝石のような日々。
 士郎自身、そんな日々がずっと続くと信じて疑わなかった―――

 けれど、そんな日は終わりを告げる。
 亡くなる半年前から、切嗣は出歩かなくなり、家にいることが多くなった。
 そのことは、当時の士郎にとっては嬉しかった。きっと今まで一緒に過ごせなかった分を切嗣が過ごしている、 そして、これからもずっとそうしてくれる―――そう思ったから。
 けれど、違った。それは、死期を感じ取った動物のとる行動。自分にとって暖かであった場所に戻り、 そしてその暖かさに包まれて死んでいく―――ただそれだけのための行動。
 これは周りに最後の別れをしているに過ぎない―――士郎がそう気づいた時はもう遅すぎた。
 だからこそ、最後に一緒に月を見た、冬にしては暖かかったあの日、正義の味方になれなかったと悔いる切嗣の前で士郎は誓った。
 代わりに、それを受け継ぐ、と。あの日切嗣が自分を救ってくれたように、自分も同じように他人を救う、と。 だから安心して、休んでていい、と。
 その言葉を聞いて、安心した様子で、切嗣は眠るように息を引き取った。士郎はそれを見て、 泣き声をあげず、ただ、涙を流していた―――

 誓った対象は、目に映るもの全て。一人も犠牲を出さずに救う。
 けれども、それは無理だ。誰かを救うならば、その一方で、救われない誰かが確かに存在するのだから。
 それは「悪」という相手もそうだろうし、何より、救われるのは当人だけでしかないのだから。
 けれど、そうであっても、取りこぼさずに全てを救う―――そう決めた。
 そのための力を持つために、切嗣から教わったたった一つの魔術を独学で修行した。
 その魔術は初歩中の初歩であり、最も効率がいい物質の『強化』。
 ただその修行方法は、普通と違い、一から魔術回路を作り出し、そこに魔力を通して、そして物を強化する、 という一歩間違えれば命を落としかねない、一人前の魔術師が見れば何とも未熟で、何とも愚かな方法。
 それでも、それを行った。
 譲れなかったから。自身には才能がないとわかっているけれど、そうするしかなかったから。
 その想いを貫くことは、決して間違いではない、と思ったから。
 今生きているのは、切嗣が自分を助けてくれたことによるもの。
 だから、それを継ぐことは当然―――ただ、そう信じた。

             ◇

「………でも、俺はそれを裏切った」
士郎は誰に向けるでもなくそう呟く。
 そう、裏切った。今まで自分を作りあげた理想を捨て去り、一人の少女の味方をすることに決めた。
 間桐桜という、マキリという五百年続く魔術の大家の妄念―――不老不死を実現させるために、 不完全な聖杯として犠牲となった少女の味方をすると決めた。
 養子に出した父を恨むでもなく、つらい修行を課した祖父を恨むでもなく、身体を穢した義兄を恨むでもなく、 全てに耐えてきた彼女の味方をすると、自分の意思で決めたのだ。
 初めて出会った時のことを思い出す。
 それは六年前のこと。
 桜には、その前に走り高跳びをしているところを見られていたらしいが、自分ではっきりと彼女を見たのは 慎二に間桐家に招待された時だ。
 どこかしら暗く、陰のある少女―――最初の印象はそんな感じだった。
 それでも、間桐家に行くたびに、互いに挨拶は交わしていた。
 しかし、三年半前を境に、その関係は変わり始める。
 士郎が自分の怪我によって弓道部を辞めた。それだけで済むならばよかった。問題は、慎二が悪い噂を流したのだ。 それに責任を感じた桜が、衛宮家に押しかけてきた。
 最初は、断っていた。自分で辞める、と決めたこと。だから桜が責任を感じることはない―――そう言って。
 けれども、桜は聞く耳を持たなかった。大人しい彼女にしては強引に、怪我が治るまでは士郎の 世話をする―――そう言って聞かなかった。そしてその熱意に負けて、士郎は家に来るのを許した。
 世話を受けてしばらくした後、彼女に合鍵を渡した。
 ここは桜のもうひとつの家、だからこれからも家に来てもいい―――そう言って。
 士郎にとって、桜は妹のような存在になっていった。
 桜自身も、大河の影響を受けてか、どんどん明るくなっていった。
 桜が士郎を起こしにきて、士郎か桜が朝食を作り、朝食を食べに来た大河と三人で一緒に食べる。
 夜も夜で、夕飯を桜が作りにきて、そして居間でお腹をすかせる大河を宥めて三人で一緒にご飯を食べる。
 それが衛宮家における新しい生活のリズム―――気がつけばそうなっていた。
 そう思っていたのに、共に暮らしていくうちに、いつしかそれが変わっていた。
 気づけば彼女は士郎自身にとって、最も大切な、愛するべき存在になっていたのだ。
 そして、聖杯戦争において、正義の味方りそうを捨てて、 桜の味方げんじつをとった―――
 そして、手に入れたのは今の日常。
 桜がいて、ライダーがいて、大河がいる。
 桜の姉であり、時計塔ロンドンに留学した凛もいる。
 最近の彼女からの手紙によると、近いうちに帰ってくる、と書いてあった。
 新しい身体の方も最近良好。あの戦争において傷つき、壊れてしまった身体の代わりに見つけた、一目見れば 人間としか言いようの無いほど精巧な、人形であるこの身体。
 最初は色々と戸惑いったけれど、慣れてみると普通の生活と変わらない。
 眠くなるし、食欲もある。料理して指を切れば血が出るし、寿命すらある。
 本当に大事なのは肉体ではなく魂―――そう言っていた凛の言葉を思い出す。 未だに信じられないけれど、確かにその通りなのだろう。士郎自身が今こうやって生きているのだから。
 ただ、士郎自身の魔力が足りなくなるためと、そして聖杯戦争において聖杯につながって、 膨大になった桜の魔力を外に出すため定期的に桜とアレをしているが―――
「って、違う!!」
その行為を思い出し、士郎の顔が赤くなる。
 桜とそうするのは士郎自身嫌ではない。寧ろ嬉しい。ただ、最近頻度が多すぎるような気がしてならない。 それは桜からの時もあるし、士郎から求めることもある。ただ、どちらかといえば、桜のほうが積極的だ―――
「だああああああ、違う!!」
より一層頭を振って、その考えを振り払う。

            ◇

 そして落ち着いた後、ため息をついて、
「何で、今日はこんなことを考えるんだろうな?」
とひとりごちる。
 月が綺麗だからだろうか、と考えて、それが自身には柄にも無く気障ったらしく思えて苦笑する。
 ならば何故、こんなことを思ったのか、過去のことを思い出して、一体何を求めているのか、と自身の中に問いかける。
 そして、何に囚われているのかを自覚する。
 つまり……寂しさ。
 ならば、何に寂しがっているというのか?月の光によって思い起こされるのか?
 そう考えて、ふと士郎の脳裏に、自分を守ってくれた凛々しくも美しい騎士と、外見は己よりも年下なのに、 精神的には年上であった雪の少女の姿が思い浮かんだ。
 そして、気づく。
 これは彼女たちがいないから、と。
 自身の想いを貫いた結果、切り捨てて、否、切り捨てるしかなかったから、と。
 確かに、あの状況ではそうするしかなかった。
 あの時セイバーに止めを刺さなければ自分が死んでいただろうし、 イリヤがいなければ『孔』を閉じることもできなかったに違いない。
 そしてそれを招いたのは、自分の力量不足―――ただ、それだけ。
 それ故に、悔しい。
 自分にもっと力があれば、こんな結末は変えられたかもしれないのだから。
 確かに、手に入れるものがあれば、失うものもある。
 それは、「桜の味方」を決めた時に覚悟していたこと。
 ならばこれはずっと抱えていくべき自分の罪。
 それと引き換えに得たものをしっかりと持っていくだけ。
 それこそが、彼女たちに対してできる、唯一の贖罪―――
 そう考えていると、居間の方で明かりがついた。

「?誰だろう、こんな時間に?」
今の時刻は午前一時。それ故に気になって、士郎は居間に向かい、そっとドアを開ける。
「桜………」
そこにいたのは、何を引き換えにしても守ると決めた、桜色のカーディガンを羽織った少女。
 ただ、その表情は、どこか思いつめている。
 最近、桜はそういった表情を浮かべることが多くなった。
 それを尋ねても、いつも何でもないと彼女にはぐらかされる。なのでその原因は、士郎自身にはわからない。
 ならば、桜が話すまで待とう―――そう考えていた。
 けれども、自分は桜の味方。
 だからこそ、辛いことがあるのならば頼ってほしい。
 以前のように、自分自身で抱え込んで、苦しまないでほしい。
 その苦しみを分けてほしい―――
 聖杯戦争において、一度は雨の降る中、そして一度は大聖杯の前で誓った。
 けれど、そう簡単に人は変われるわけはない。
 それならば、変えてみせるだけ。そしてそれこそが自分の役目。
 それをもう一度言うために、士郎は居間に入った。


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