ある物語の終わり、そして始まり




 ―――そして英雄であった彼は、夕陽差す丘の上にて身体を刃で貫かれた。

 その刃の名は裏切り。貫いたのは、彼―――かつて衛宮士郎と呼ばれた男が守ると決めた存在。
 たとえ自身に何があろうとも、ずっと守りきると決めた存在。
 だが皮肉にも、彼自身と彼自身の振るう力に対して、彼等が持った感情は畏怖。
 その感情はこのような形をとって爆発したのだ。

 貫かれて、彼は地面に倒れこむ。
 混濁し、消え行く意識。
 傷口から血が流れ、身体がだんだんと冷えてくる。
 身体が自分のものとは思えないほど重い。

 目がかすむ。
 数メートル先が最早見えない。
 鉄の匂いが鼻をつく。
 これは己の血の匂い。
 それに気分が悪くなり、思わず胃の中のものを吐瀉する。
 しかしそれには血が混じっていた。
 しかも内臓をやられたからなのか、その色はどす黒い。

 ―――これじゃ死ぬな
 士郎は他人事のように、そして冷静に分析する。そう、この傷では確実に死ぬ。
 かつて治癒の魔術を習得しようと努力はしてみたけれど、結局身につかなかった。
 そう、努力の末に習得した魔術は、固有結界『無限の剣製』 アンリミテッド・ブレイドワークスのみ。
 己は結局、唯一つの魔術しか使えない魔術使いにしかなれなかった。

 それでも、その唯一使える禁呪ともいえる魔術を用いて、彼は英雄の座へと上り詰めた。
 英雄になれば、もっと困っている人を救える。そしていつかは誰も傷つかない世界がそれを貫いた果てにある―――
 ただそう信じて、たとえ救った相手に裏切られても、罵られても、他人のために働き続けたのだ。

 死に逝く中、関った出来事、出会った人々のことを思い出す―――

 ただの「士郎」から「衛宮士郎」が生まれたあの火事のこと。
 生きたまま焼かれて死んでいった人たちの苦痛。
 その中でも誰かを助けるために己の命を賭して救おうとした兼愛。
 その事故で死んでしまった人々を悼む、残された遺族の哀惜。
 何よりそんな中で己を救ってくれて、己に多大な影響を及ぼし、
 己の養父となった衛宮切嗣の優しさ―――

 切嗣が死んだ後の日常。
 姉代わりであり、切嗣が死んだ後もいつも明るく己を励ましてくれた藤村大河のこと。
 高校時代に友人となり、生真面目で、何かと心配をかけた柳洞一成のこと。
 同じく高校時代に知り合い、さっぱりした性格で、嘗て弓で負けた事がよっぽど悔しかったのか、
 弓道部に戻るように何度も言ってきた美綴綾子のこと。
 中学時代の友人であり、皮肉屋で、あの聖杯戦争において命を落とした間桐慎二のこと。
 その彼の妹であり、己の後輩でもあり、何かと己の世話を焼いてくれた間桐桜のこと―――

 聖杯戦争のこと。
 己の義理の姉であり、妹でもあった天真爛漫なイリヤスフィール・フォン・アインツベルンのこと。
 あの日、己に全てを任せてバーサーカーに立ち向かったアーチャーのこと。
 前回の聖杯戦争の生き残りで、全ての黒幕であった言峰綺礼のこと。
 そして、聖杯による『過去きずの消去』 という誘惑に対して出した答え。
 『全てを受け入れて歩む』ということ―――
 
 今はいない彼女のこと。
 未熟な魔術師、いや魔術使いであった己のサーヴァントだった彼女のこと。
 聖杯戦争の最後まで己を守ってくれた彼女のこと。
 サーヴァント最強の存在であった彼女のこと。
 本来のアーサー王であった彼女のこと。
 頑固で、融通が利かなくて、食いしん坊で、そのくせ生真面目な彼女のこと。
 己が生涯において、ただ一人本気で愛した彼女のこと。
 朝焼けの光の中で霧のように消えていった彼女のこと。
 元いた時代に戻った後、最期は王として死んだであろう彼女のこと。
 セイバーのこと―――

 そんな事を考える中、あの戦争からもう何年になるのかわからないけれど、
 一度死んで生き返ったあの日より、ずっと肌身離さず身に着けていた赤い宝石が転がり出た。

 あ―――

 朦朧とする意識の中で、士郎は赤子のように手を伸ばしてそれを掴む。

 遠坂―――

 そして最期に、師にして友であった彼女―――遠坂凛の事を思い出した。
 そしてあの時の未熟な自身を思い出す。だがもう彼女はいない。彼女は死んだ。
 それも彼の目の前で、彼自身のせいで死んだのだ―――

          ◇

 聖杯戦争後、士郎は魔術師になることに決めた。そう、魔術師になり、そして正義の味方となる―――彼はそう決めたのだ。
 彼は己よりも数段上の魔術師である凛に弟子入りし、そして共に魔術協会のある 時計塔ロンドンへと留学した。

 そして、彼女の元で魔術の修行をしつつ数年が経ち、あの事件は起こった。ひょんな事から、士郎と凛は狂った魔術師による 大勢の人間を巻き込むことになる禁術の行使が行われようとしている事を突き止めた。それを止めるのは協会お抱えの戦闘魔術師 の仕事である。だが、彼等は全員他の任務に赴いており、その時誰もいなかった。

 ―――このままだと、大勢の人が巻き込まれることになる。
士郎はそう考えた。脳裏にあの日―――あの火事のことが思い浮かぶ。

 ―――あんなのは、もう見たくない。
 気がつくと、士郎はその場に向けて走り出していた。凛は何とか止めようとしたけれども、結局止める事ができず、 引きずられる形で二人はその場に潜入した。幸いにもその魔術師の不意を討つことで倒すことができ、 二人は禁術の行使を間一髪で止めることができた。
 そこで終わるのならばよかった。だが禁術を止めた後で、魔術師が士郎に向けて魔術を放ったのである。 それにいち早く気づいた凛は彼をかばって、致命傷を負ったのだ―――

「えへへ―――どじっちゃった」

 戦いが終わり、彼の腕に抱かれながら、彼女はいつもの調子でそう言った。
 生命は傷口からどんどん零れゆく。
 凛自身も、治癒の魔術を試してみた。だが放たれた魔術には呪いがかけられていたのか、傷は塞がらず、血も止まらない。
 それでも何とか流れる血を止めようと、士郎は彼女の傷を手で押さえる。けれども、それは無意味でしかなかった。 傷を押さえた手の隙間からどんどん血が流れ出て、地面には血で作られた池ができる。
 それでも彼は諦めない。どこまでも足掻く。無意味でしかなくとも、血がこれ以上彼女から流れないように傷を押さえ続ける。 そうすれば、いつかは血が止まり、きっと彼女は助かる―――。ただそう信じて。
 血が彼の手を汚す。服の袖が血で汚れる。それでも彼は傷を押さえ続ける。
 その行動は余りに愚鈍。余りに無意味。ただの自己満足でしかない。
 けれど、人を助けるために、自分のことは後回し―――それを貫くと彼は決めた。だからこれは彼にとって当然の行動。

 その様子を見て、凛はクスリと笑う。そして、どこまでも変わらない、この鈍感にして真っ直ぐでお人よしな彼を愛しく思う。 この傷では最早自分は助からないことはわかりきっている。それ程強力な呪いだ。それでも救おうとする彼。 それは、彼女自身には決してできないこと。だからこそ、まぶしく感じるのだ。

 ―――士郎のことを好きになってよかった。
凛はそう思う。そう、自分は死んでしまうけれど、中学校時代から抱き続けた彼に対しての想いは最期まで本物だった。
 後悔はある。この想い―――彼に好きだと言えなかった事がそうだ。彼自身の中に棲む彼女の存在故と、 今の関係に満足してしまい、結局彼に好きだと言えなかった。
 自分らしくないと思う。馬鹿馬鹿しいと思う。今まで欲しいものは全てを手に入れてきた。けれど、 これだけは手に入れることができなかった。
 それもこれも、自分が彼のことを好きだ、ということを気づかなかった彼のせいなのだ―――。そう心の中で八つ当たりしつつ、

 ―――だからこそ、コレだけは言っておこう。
そう決めて、

「ねえ、士郎」

凛は彼に呼びかける。その声に、彼の手が止まる。そして彼女のほうを向く士郎。

「もう、いいわ。これじゃ、助からないから」

 他人事のように事も無げに話す彼女に、何を言ってる、諦めるな、大丈夫、絶対に助かる、だから生きろと士郎は呼びかける。 しかし彼自身も無意識にわかっていた。彼女は最早助からない、という事実に。今やっていることは無駄でしかないことに。 だが、それでも願わずにはいられない。彼女が助かることを。無駄でしかなくとも、助けたかったのだ。

 ―――何が正義の味方になるだ。
士郎は心で自嘲する。そう、何が皆を救うだ。衛宮士郎は結局一人のひと さえ守れない。
 あの日、自分の最愛の人がいなくなった後でも傍に寄り添い、魔術の師として、そして友として支えてくれた 彼女すらも失おうとしている。
 ―――なんて、無力なんだ。俺は。
 悔しさの余り涙が出る。結局己は何もできない。あの日―――あの火事の日から何も変わっていない、無力な存在のままだ。

 それでも彼女は続けて言う。

「聞いて士郎………。最期に……貴方に…一つだけお願いがあるの」

そう言ってくる彼女にその願いを尋ねると、

「……自分を…犠牲にして…他人を救うのはやめて。それは…確かにいいこと…かもしれない。そして、 …他の何より美しい…ことかもしれない。 でもね……、ゴホッゴホッ」

血が逆流して、息が詰まり、咳き込む。もう喋るな、傷に障るから、と彼は止める。それでも凛は続けて言った。

「でも……それは決して…貴方を救うことには…ならないの。だから」

 彼女は彼の涙を拭く。

「……だから、自分をまず…救って。誰かを…助けるときも、自分自身の…ことを先ず…優先して。そうすれば………」

 微笑する凛。

 ―――そうすれば、貴方は本当に幸せになれるのだから。

 最後にそう言って、彼女の手が地面に落ちる。そしてまるで眠るかのように、彼女は彼の腕の中で、静かに息を引き取った―――

 受け入れたくなかった。
 コレは何かの夢だと思いたかった。
 そう、コレは性質の悪い悪夢。
 目が覚めれば、いつものように彼女にいびられつつも楽しい修行の日々が待っているのだ、と。

 だが、何時まで経っても目は覚めない。
 それに、腕の中の彼女の重さが、そして冷えていく彼女の体温が、
 何より未だに傷口から流れる血の感触が、
 コレは現実と、訴える。
 
 そう、衛宮士郎は彼女を助けることができなかった。
 確かに大勢の人間を巻き込む禁術の行使は止めた。
 それと引き換えに、彼女の命は失われたのだ。
 そして残ったのは無力な己。

 ―――何故助けられなかった?
 彼女の亡骸を抱きしめ、号泣しながら士郎は自身に問いかける。
 答えは簡単だ。己に力がなかったから。
 そして自身が弱いから・・・・だ。

 朝焼けの中消えていった、己の愛しい人に言われたことを思い出す。
 己は自分の命を勘定に入れていない、と。
 他人を救うことにかまけて、自身を救うことを考えていない、と。

 ならば、自身を救うことを考えていれば、身代わりとなった彼女を助けることができただろうか?
 そんなことはない。
 何故か?
 己は無力でしかないから。
 ならばどうする?
 力が欲しい。
 全てを守りきる力じゃなくてもいい。
 目に映る人たちを助けることができる力でいい―――!!

          ◇

 そして、彼は変わった。
 守りきるだけの力を持とうと、才能のない自身をどこまでも鍛えた。
 その鍛錬は他人から見れば明らかに無茶で、続けていればいつか死んでしまいそうなほど。
 それ程厳しく、馬鹿げたものだった。

 しかし、彼はそれでいいと思っていた。
 死ぬほどの無茶をやっても、それで死ななければ、より一層強くなれる―――
 そう信じて。
 鉄のごとき意志を以って、自身を鍛え続けたのだ。

 結果、自身は英雄と呼ばれるほど強くなった。
 それでも、救われない命があった。
 けれども、止まらなかった。
 今は無理でも、いつかは全ての命を救うことができるはず―――そう信じて。

 だが、彼自身気づいていただろうか?
 身体が剣でも、その心は硝子であることを。
 どこまでも強く、どこまでも脆い。
 己はそんな存在であることを。
 それを支えることのできる存在が、最早どこにもいないことを―――

 そして考えていただろうか?
 彼女の言葉の意味を。
 自身を救え、という意味を。
 自身を救わなければ、決して他人を救うことにはならない、という事を。
 それでも彼は止まらずに駆け抜けた―――

 そして、「衛宮士郎」が生まれた日の如き火事があった。
 このままでは百人ほどとはいえ、多くの命が失われる。
 それ故、己は世界と契約した。
 死後、人類の守護者となると契約した。
 そして代償として、命を救うよう求めた。
 少しでもそれで救われる命があるのならば、それでいいと思って―――

 ただ夢見たものは、誰一人として悲しまない世界。
 その望んだ先が、この結末だった―――

          ◇

「………悪い、遠坂」
宝石を握り締め、つぶやく士郎。
「………結局、俺は自分を救えなかったよ」
そして、苦笑する。

「それ……でもさ」
続けて言う。

「俺の……選んだ道は、……決して…間違いなんか……じゃなかったよ」
そう、決して間違いじゃなかった。それだけは胸を張って言える。自分は死んでしまうけれど、自分の意志で決めて、 それを貫き通したのだから。そして、己に救われた命は、確かに今、笑ってくれているのだから。

―――地面の感触は最早ない。本当に地面に倒れているのかもわからない。

「もしも……何かの縁で…出会う事ができたなら………」
―――まぶたが重い。最早目を開けていられない。

「……それを言えたら……いいな」
―――けれども最期に満足そうに微笑を浮かべ、彼はその人生を閉じた。


 ここに、一人の英雄の物語は終わりを告げた。
 そしてこの時より、一つの物語が始まる―――

 守護者となるも、「誰も傷つかない世界」などない、と己の理想に裏切られた彼。
 永きにわたる守護者の役目に、精神が磨耗しきった彼の望んだこと。
 それは嘗ての自分を殺すことだった―――

 そして、あの日の聖杯戦争に英霊として呼び出された彼。
 それを知った彼は、己の目的のために動き出す―――

 その行動の末に得る「答え」は一体どのようなものか―――

 それは、運命だけが知っている―――



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