それからの二人〜勉強編〜
聖杯戦争からもうすぐ2ヶ月。言峰に代わって教会から新しく派遣された神父の手によって、その爪跡はもう全く残っていない。世間は春と言う季節が示すとおり、吹く風と日差しは暖かい。 周りの環境としては、相変わらずの部分が多い。藤ねえは朝と夜、家に飯を食いに来るし、慎二の世話にかかりきりになった桜も桜で、偶にだけれど飯を作りにくる。最近はそれに遠坂も加わるようになった。 一成は相変わらず遠坂と仲が悪い。三年生になって俺と遠坂が付き合っている、ということを話しても、相変わらず遠坂とは付き合うな、と言ってくる。遠坂にいいように使われそうで心配だから、とは本人の弁だけれど、俺はそれはそれでいいと思っている。だって俺はそれでもいい、と思うくらいアイツに惚れ込んでしまっているのだから。 美綴も普通に学校に来ている。慎二の取り巻きが流した悪い噂のある中で、何もなかったかのように振る舞い、噂は直ぐに立ち消えになった。こういうところ、アイツは強いと思う。後、遠坂と付き合っていることを言った後、遠坂が約束とか何とか言っていたけれど………なんだったんだろうか?何なのかを聞いても結局うやむやにされてしまったし……… 慎二は慎二で、あれ以来憑き物が落ちたのか、中学校時代のような素直さを出すようになった。この前見舞いに行ったら、もうじき退院できるそうだ。色々あったけれど、慎二にとっては今回のことはプラスになったと信じたい。 俺自身の事としては、変化があった。俺は遠坂に弟子入りし、魔術を一から習い始めたのだ。今まで俺は独学で強化のみを修行してきた。だが、それでは何時まで経っても切嗣の跡を次いで正義の味方になれない。いや、それ以前に一人前の魔術師にもなれない。それが理由で弟子入りしたのだ。 ただ、俺は魔術の奥義とも言われる固有結界――― いや、本当はそれだけではない。遠坂の前では口には出さないものの、早く一人前になって遠坂と対等の立場に立ち、惚れた女を護りたい、と思ったからだ。そう、あの赤い外套を着たサーヴァントのように。 あの日の闘いは、だんだんと記憶が薄れていっているけれど、闘いの中で貫ぬくと決めた想いは自分の中に残っている。これは決して揺るがない。たとえ何があろうとも、ずっと貫くと自分で決めたのだ。 その想いとは別に、俺は遠坂に惚れこんでしまっている。そう、自分ではどうしようもないほどに。 遠坂と離れたくない、いや、離れない―――これもまた、俺が自分で貫くと決めた想いだ。 来年の春には俺たちは魔術師協会の総本山たるロンドンの時計台に行く。呼ばれたのは遠坂で、俺はその弟子、という立場なのだが。けれど、少しでも遠坂の役に立てるように修行することは間違いではないはずだ。 「一人前になる」という目標は高すぎると言っていいほど高い。この身には魔術の才能は欠片もないのだから。でも、だからといって諦めるつもりはない。才能がない、と腐る暇があるのなら、無駄であれ少しでも努力して、少しでも魔術を使えるようになる方がマシなのだから。 まあ、さしあたっての目標は、早く一人前になって、遠坂の鼻をあかすことである。 ◇ 「なあ遠坂、これってどういう意味だ?」 そして今日も今日で魔術を俺の家で学ぶ。今日は魔術書の翻訳であり、その中のわからない部分を、俺は対面に座った遠坂に尋ねた。早いところ、これ位は一人で読めるようになりたいが、魔術書は基本的にラテン語で書かれている。しかも専門書だからわからないことの方が多い。というわけで、口惜しいけれど、俺はまだまだ魔術書もろくに読めない半人前だったりする。 そんな俺の心を知ってか知らずか遠坂は、 「どれ?」 と聞いてくる。 「これ。この文章の中の単語」 俺が本を遠坂の方に向け、単語を指差すと、 「ちょっと見えないわね」 と言ってきて、顔を近づけてきた。 その時、長い睫毛、きらきらと光る黒い瞳、紅い唇がいやでも目に入り、それに見惚れてしまう。そして極めつけにはほのかに香るシャンプーの香り。 「ちょ、遠坂!!」 一応俺も男なわけで、こういうことをされたら困る。俺も人並みに欲望はあるのだ。それを理性で以って何とか抑え、平常心を保つ。そんな俺の心の中を知ってか知らずか、 「?何?」 と、本当に何事かと首をかしげて聞いてくる。その仕草もまた可愛い、って何でコイツこんなに無防備なんだ!!一応俺は男だぞ!! 「い、言いにくいんだけどさ、」 「だから何よ?」 とより一層顔を近づける遠坂。うわあ、よりいっそう香りが強くなる。それにクラリとよろめきそうにつつも、 「か、顔を近づけないでくれ!」 なんとか残っている理性を総動員してそう言いきる。ああ、おそらく顔は真っ赤になってるだろう。 すると、遠坂はしばらくキョトンとした後、にやりといつものようにあくまの如く笑い、 「ふぅん、顔が近いのがどうしたの?衛宮くん」 なんて言ってくる。また少し顔が近くなる。お互いの距離は5センチ程。このまま押し倒してしまいたい、なんて馬鹿な考えを理性で抑えつつ、 「お、お前、俺が男だって、わかってるのか?」 としどろもどろになりながらも尋ねる。すると、 「それがどうかしたの?男だから、顔が近いとどうかしたくなっちゃうのかな?衛宮くんは?」 と言って、ますます顔を近づける遠坂。お互いの顔はもう3センチも離れてない。ほんの少し口を突き出せばキスできるというような距離。 遠坂の吐息が頬にかかる。そして、あろうことか遠坂は、 「ねえ―――キスしよっか?」 と、俺の理性を根こそぎぶち壊すようなことを言ってきた――― その言葉に俺は固まる。まさしく俺の思っていたことを言われたから。そして、 ―――そう言ってきてることだし、してしまってもいいんじゃないか? 俺の中の欲望がそう囁く。その一方で、 ―――いいや、だめだ。その一線を踏み越えたら、歯止めが利かなくなる。 俺の中のもうほんのわずかになった理性がそれを押し止める。そう、勢いに任せてキスなんかしたら、止まる自信がない。押し倒して、絶対行き着くところまで行ってしまうだろう。さっきの一言は、それほどの破壊力だ。 ―――いつもやられっ放しでいいのか? 俺の中の欲望が囁く。そう、いつもやられっぱなしだ。ならばたまにはやり返すのもいいだろう。それを遠坂自身、承知のはずだ。承知して、こういう風に誘ってきているに違いないのだ。 ―――よせ、衛宮士郎。このままだと、また傷つけることになるぞ。 俺の中の理性がそう警告する。あの日―――魔力の供給のためとはいえ、初めて結ばれた日、俺は遠坂を泣かせてしまった。またあんな風に泣かせるのだけは嫌だ――― そういう衛宮士郎の内側での欲望と理性のせめぎ合いを知ってか知らずか、 「どうかしたの士郎?」 と上目遣いで俺の目を見てくる遠坂。心なしか、その頬に赤みがさしているように見える。そして、遠坂は目をつぶり、少しだけ唇をつきだす――― その瞬間 俺は目を閉じて、そしてお互いの唇が重なろうとしたその時――― 「くっ……」 とちいさく呟く遠坂。そこで動きを止めて、どうかしたのかと尋ねるより早く、 「あははははははは!!士郎、アンタホントに面白すぎ!!」 と笑いながら、この赤いあくまはのたまってきた。 「バカね、冗談よ。それとも期待した?」 と笑って俺の肩を叩きながら言ってくる遠坂。 「へ?」 いまだ状況がつかめない。今、遠坂は何て言った? 「だから冗談。けどホンットにからかうと面白いわ、アンタは」 と、もう一度繰り返す遠坂。 「じょう、だん?」 「ええ、そうよ。第一今は修行中よ。そんな事考えてる暇があったら、少しは魔術書が読めるように頑張んなさい」 クックック、とまだ笑っている遠坂。そして理解した。 ―――何のことはない。ただ、いつものようにからかわれていただけだ、と言うことに。 「バ、バカヤロー!!じゃあいきなりあんなことすんなお前は!!」 当然のことながら、俺は叫んでいた。それはそうだ。純情な青年の心を玩びやがって!! 「けどドキドキしたでしょ?」 違う?と言って上目遣いで俺を見てくる赤いあくま。 「うっ……!!」 その言葉と仕草に詰まる俺。そう、不覚にもドキドキしていた。いや、今の仕草のせいで、またドキドキし始めた。 そんな俺を見て、ため息をつき、 「そんなんじゃまだまだ修行が足んないわね。自分を律せないようじゃ、一人前にはなれないわよ?」 やれやれという表情を浮かべながら言ってくる遠坂。 ああ、さっきまで理性と欲望の狭間で悩んでいたのがバカみたいだ。 「む。悪かったな、半人前で」 そう言い返すと、 「ひょっとして……怒ってる?」 と尋ねてくる遠坂。 「いいや、なんかやっぱりお前はお前なんだなぁって思っただけ」 「む、何よそれ。どういう意味?」 「だからさ、どこまでも意地悪で、勝気で、金についてがめつくて、ひねくれてるけど、そういう所を含めてお前に俺は惚れこんじまってるんだなぁ、ってことさ」 そう、こんなことをされても俺はコイツを憎めない。そこもコイツの魅力の一つなんだってわかってしまったから。どうやら俺はコイツにとことん骨抜きにされてしまったらしい。 すると、遠坂は顔を真っ赤にして、 「な、何馬鹿なこと言ってんのよ!!」 と言い返してくる。 「馬鹿も何も……本当のこと言っただけだけど?」 「それが馬鹿なことって言ってんのよ!!」 「何でさ。本当のこと言って何が悪いんだ?」 そう言うと、ますます顔を赤くして、 「ハァ、もういいわよ。さ、続きやりましょ。どこだっけ?」 「遠坂、無理に話題そらそうとしてないか?」 「―――衛宮くん。これ以上この話題にこだわっていたいんなら、覚悟はできているでしょうね?」 と、左腕をまくる。そして浮かび上がる魔術刻印。 「む、卑怯だぞ遠坂。答えられないからって力に訴えるのは民主主義に反してるぞ」 「民主主義に反していようが反していまいが、それ以上こだわるんならいくらアンタでも本気でガンド撃ちぶっ放すわよ!!」 やばい。遠坂は本気だ。これ以上話すのなら、当然そうするつもりなんだろう。 「―――ごめんなさい」 「よろしい。じゃあ、勉強を続けるわよ」 そして俺たちは再び魔術の勉強を始めた――― ◇ 今日の魔術の勉強が終わり、わたしは家に帰った。そのあと、わたしはお風呂に入り、髪の毛をバスタオルで拭きながら、ソファにもたれかかる。コツ、コツ、コツと時計が秒針を刻む音。わたし一人しかいない部屋。もう慣れたとは言っても、それが何となく寂しく感じることがある。 ふぁぁ、と欠伸をする。そろそろ眠くなってきた。 「さぁて、と。明日もあるし、もうそろそろ寝ようかな」 そしてわたしは歯を磨き、寝室に向かう。そして、ベッドに入る――― 「―――どこまでも意地悪で、勝気で、金についてがめつくて、ひねくれてるけど、 そういう所を含めてお前に俺は惚れこんじまってる、か」 ふと士郎が言った台詞を思い出す。 「………バカ士郎」 ここにはいないアイツに向けてそう呟く。 「あんなこと言われたら、明日学校でどう接すればいいかわからなくなっちゃうじゃない」 嬉しかった。士郎は美点も欠点も全部ひっくるめてわたしの事を好きだと言ってくれたのだ。思わず顔がにやけてくる。 わたし達が付き合っている、ということは一成と綾子以外には秘密にしている。わたしとアイツの学校での関係は、同じクラスながら、学校ではお互いに少し挨拶を交し合い、たまに昼休みに食事を一緒にとる、といった程度である。これはお互いが決めたことであり、且つ士郎がわたしの変な噂を立てられないようにするため、と言って、こういう風に決めたのだ。 けれど、わたしよりも最近士郎のほうが問題だ。 士郎はこの2ヶ月で急に身長が伸び始め、顔つきもより男らしくなった。でも困った人を見ると助けずにはいられない性格は相変わらずだ。 その助けられた人が男ならまだいい。問題は女の子の場合なのだ。急にカッコよくなったものだから、最近士郎に好意を持つ女の子が同年代でも後輩でも多くなってきたのだ。しかも士郎自身、そういう事に関して鈍感で、相変わらずなものだから、士郎のことが好きだという女の子はどんどん増えていき、ファンクラブが出来上がるのは最早時間の問題、という感じなのだ。 実際、わたしを仲介役として、ラブレターを渡すように頼まれたこともある(自分で渡せと断ったが)。そういう風に士郎の株が上がるのはいい事なのかもしれないけれど、わたしとしては面白くない。彼はわたしのものだ。だから誰にも渡したくない。いいや、渡さない。これは絶対に譲れないものだ。 わたしは彼ほど素直に自分の気持ちを伝えられはしない。今日も今日で、本当はああいうことはするつもりじゃなかった。あのままキスされるつもりだった。そしてその後の続きも覚悟していた。けれど、このまま 「全く、鈍感なんだから」 本当にそうだ。男ならあのまま押し倒してほしかった。 「覚悟は、できてたのに」 ううん、それは嘘。だったらあんな事していない。 「―――意気地なし」 それはわたしも一緒。結局似たもの同士なのだ。わたし達は。 「でも―――そういう所も含めてわたしも貴方が好きよ。士郎」 彼はこの場にいないし、彼の前では照れくさくて決して言えない。けれど、せめてこの想いだけは彼に届くようにと願う――― 眠気はどんどん強くなる。自然目蓋が下がってくる。まるで重りか何かがついたんじゃないかって思うほど。 「あ―――駄目だ。もう寝ちゃおう」 それは目を開けていられないほどひどくなってきた。それでも眠りにおちる前に、 「―――おやすみなさい、士郎」 彼に向けてそう言う。そしてわたしは眠りにおちていった――― |